JAPANESEのLAST DITCHと触れてみて
※別にこの時期だからどうこうじゃないよ。たまたまだよ。
基本見て眺めてってだけのものはあまり買わないんです、私。趣味とはいえサバゲで使うもの以外の置き物があっても仕方ないので。
でもこれは色々な意味で持っておきたいなーと思い、購入したものなのです。
・・・まあ一部マニアックな人とその手の人には有名なものでしょうが、知らない人にはどうでもいいというか、そんなもんです。
ご紹介。
日本海軍の要請というか民間が自主的に発案したというか色々と言われてる、大戦末期のLAST DITCH(土壇場)兵器、陶製手榴弾です。
何も知識のない人から見ると花瓶?醤油入れ?ペン立て?と思われる陶磁器ですね。
なんか四式陶製手榴弾って正式名称になってるとかまあ残存資料やアメリカ軍での報告書では言ってるみたいですけど、末期なのと敗戦直前の機密保持で散逸したりであやふやなんですってね。
同じ陶製での手榴弾を日本陸軍も開発していたようですが、こちらはもっと貴重品で実物も出回ることは少ないです。そして開発も別で形も違うと土壇場でも競い合い。
・・・そして兵器としてはひたすら評判の悪い品物です。あれやこれやと一部○○の人たちのみならず、○○の人たち、○○の人たち、○○の人たちからも恥だの狂気だのとボロカスです。
ですが、石油や鉄が血の一滴とまで言われ何もない時期、ましてや本土決戦まで考えていたのであれば、質は劣ってもなるだけ使える兵器を数多く兵士に回したい、そんな時鉄を使わずに、手榴弾をどうやって作れるんだと問いてみれば・・・、
『あるものでどうにかする。』
・・・そんな簡単な答えなんてわかるはずですがね。
たとえとしては下手ですが、無人島にでも漂流し道具が何もない状態で、火をおこすのにマッチやライター使うと答える人はいないでしょ?
あともう一つ、さっきの民間発案という説によれば、陶器業界の瀬戸際でもあったわけです。
この時代金属製であればボタンや家具や調理器までが軍に提供され、すでに家庭品は陶器と木と布でほぼすべてとなっていたのですが、それでもに鉄がないので陶器を作るための機械まで提供しないといけない事態になっていました。建前上は瀬戸物でも軍の役に立てば・・・とありますが、需要があるのに道具を取られちゃもうかなわんという本音があったんでしょうね。
威力としては鉄製の手榴弾に劣り、使い勝手も悪いものですが、それでも末期の戦場となったラバウル、硫黄島、沖縄等で使用したらしき記録もあり、何の役にも立たない失敗作とも言えなかった苦肉の兵器です。まあ当時の複雑なドラマは浅い上っ面しか知らない私より、詳しい人の資料を見たほうがよくわかりますよ。
さあ私に似合わない難しい話はこのぐらいで。前振りも飽きたでしょ?
せっかく当時の貴重品があるんですから、よく見ていきましょう。
購入先は例の黄色いマーケット。今でも陶器だのの分類で売ってますが状態が様々ですので、入札の際にはお気を付けを。
まずは白というかアイボリーっぽい奴。種類としては瀬戸物に当たります。
この品が手榴弾としてはそれっぽいシンプルさで一番好きです。
表面には下から3分の2ほど釉薬が塗られ、触り心地もツルツルです。
ちょっと口は欠けているんですが、綺麗なもの。このくびれにゴムキャップと紐を引っ掛けるようにできてます。
口部は火薬を注ぎ、口形状にあった信管をセットする穴が開いているのと、擦り板を乗っけるために平らな部分があります。
底になんか円形のラインがありますが、どうもこれはろくろとの加工で付く跡のようです。
加工は上下別々に成型して真ん中で合わせたとのこと。ちょうど真ん中に接合部があります。
続いて白黒の瀬戸物。持ってる中では一番綺麗で兵器というか美術品みたいな感じです。
釉薬の範囲に関しては白と同じ。その範囲内が黒く塗られて重厚感があります。
実は口部の径がφ14mm、白ともう一つがφ15.5mmで、それぞれ微妙に異なります。信管入れるための設定にしては少し大丈夫かなとも思ってしまいます。
つなぎ目も非常にきれいな感じで、使い捨てる物とはいえ高い技術で作っていたようです。
最後は信楽焼。あのタヌキの置物だので有名なのですかね?私焼き物の詳しい知恵や情報ってプラモ○四郎の模型秘伝書土の巻ぐらいしかわからんもので・・・。
ほかのに比べて独特の風合い。ほかの二つみたいに釉薬でツルツルではなく、ざらっとした質感です。この独特の質感が焼き物って感じでもあり、兵器らしさはありません。
この手榴弾には統制番号が刻印されています。聞きかじりの情報ではかなりの種類の番号が振られていたと言うことで、長年専門に調べている人もいるようです。
すみませんが判別するための知識がないので何かってのがわかりません。見えにくくもあるし。
おおよその見た目はこの辺で。
単重チェック。
一番重いもので357g。軽いものでも320gはありました。陶器ですから重い。
そしてさっきから見ていてわかると思いますが、この手榴弾、自立しません。
綺麗な球形でてっぺんの突起がないとどこまでもゴロゴロです。
持ってみた感じ。
直径はφ77mm〜φ78mm。感じで言うと野球のボールに近いんですかね。
とまあ、兵器として産まれたものの、今ではこうしてただの陶器。
もはや不要となったものの、歴史の生き証人として私の手元で過ごしてください。
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・・・いや、これで終わりじゃねーだろ?兵器として産まれてこのままではかわいそうだ!
ましてやここにいるのは当時の人から不用品として捨てられた忌み子。当時の兵士の御供もできずに破棄されたものが、何とか運良く生き残った子たち。
その時代の人の立場もあったでしょうが、技術屋の端くれとしての気持ちで思うと、せっかく戦おうとしていたのに武器も持たせられずに不合格どころか死ねとされたように見えて、どうにも不憫で仕方がないのです。
もちろん実物の火薬詰めて信管をつけろってことじゃないですよ。レプリカでもいいので他の部品を付けて再現してみて、初めてこれが当時の兵器としての説得力を持つと思ったのです。
ではそのレプリカはないのか?せめてその資料でもないのか?と探してみることあっちゃこっちゃ。
なんとありましたよ、こいつのパーツレプリカ。
場所はアメリカ。eBayでの落札品です。ちなみに日本ではそんなものは扱ってない感じで、なしのつぶて。当時戦ったアメリカのほうが敵兵器の研究にすら熱心なのかよと、ちと曇り。
本当は全種類確保したかったんですが、予算の都合と入札で負けてしまい、確保できたのは1個だけ。
しかし、これで再現ができるといざ確認。
まずは信管。材質はプラキャストっぽいですね。
管部分は斜めになっていて単に栓をするだけのもの。天面には点火薬らしいディテールが。
サイズ違いのがセットになっているのはオマケです。嬉しいオマケで大感謝のベリーサンキュー。
上蓋。円形の木製パーツに、マッチの擦り板みたいな点火薬が貼り付けてあります。もちろんレプリカなのでマッチとかは擦れません。
裏側は凹みになっていて、ちょうど信管を覆い保護する形となっています。
ゴム蓋。なんか適当なゴム袋を切って作ったような形です。
伸びはしますが結構肉厚で固いです。
ちなみに本体にもゴム袋を覆って保護し、戦闘前に外すとなっているのですが、何らかの不具合があったのか資材不足か、着用せずに最初から最後まで所持してたこともあったようです。
紐。ベルトに直接吊るすときに使ったようです。まあほとんどが雑嚢などに放り込んだみたいですが。
吊るすためなので別にこの種類の紐だけでなく、いろんなのがあったようです。
この紐は飾り用途ですので短く作られており、吊るすのには難しいかと。
では装着。
まずは信管を放り込み、
続いて上蓋をセット。
ゴム蓋を反転させて、引っ張りながら本体の凹みにかぶせ。
最後に紐をそれっぽく括って、ほらやっぱりこうでないとね。
いいじゃない、陶製手榴弾の全容だよ。やっぱりちゃんとした兵器だよこれ。
さてちょっといい感じに浸るのは後にして、この状態での使用をシミュレーションしてみます。
最初に紐を解いて。まあこれは飾りだしやらんでもいいけどね。
次にゴム蓋を引っ張り取るのですが、普通に取るのでは上蓋がゴム蓋にくっついてしまいます。
てっぺんを押さえながら取るか、くっついた場合はこのようにゴム蓋から外します。
上蓋の擦り板と信管を擦れるよう、やりやすいように持ってからマッチを擦る要領で点火!
後は目的に投げるという流れです。
確かにほかの手榴弾に比べれば使い勝手は悪いですし、陶器ゆえの破損しやすさや湿気対策も不安があり、それによる不発などもあったでしょう。
ですが何度も言うように、無い中での最良として考えれば妥当なものではなかったでしょうかね。少なくとも私はそう思います。
当時の物をただ眺めるだけや、資料のみで議論するのも結構ですが、複製品でもいいので実際に触ってみてこうして使い方をまねてみたりすることで、より理解が深まっていきますよ。